2005年10月20日

日限萬里子

昨日アメリカ村について書きました。
アメリカ村について書くなら必ず書いておかないといけない人がいました。

日限萬里子さん。今年3月に亡くなりました。享年62歳。

アメリカ村を作った人として知る人ぞ知る人です。


「ひぎりのママ」と人は呼びました。



ママは、若いとき、やりたいことが見つからなくて世界を放浪しようとしてました。
旅に出る3日前にもう一度大阪を見とこうと思って、ドライブしてました。

小さな公園の前で、ふとコーヒーが飲みたくなりますが、
辺りを見回しても、コーヒーの飲みたくなるような店は皆無だった。

「この辺で深夜でも美味しいコーヒーが飲めたらなあ・・・」

ママはそこにあった貸事務所を借りてコーヒーショップを開きました。
海外放浪はやめです。

やがて喫茶店「LOOP」は、サーフィン帰りの若者が立ち寄るようになります。
「LOOP」に集まってくるサーファー目当てのサーフィン関連のショップが
次々にオープンします。



その地域は次々と若者を引っ張り、アメリカ村と呼ばれるようになりました。


私が高校ぐらいのときには(25年前)アメリカ村になってました。
小さい公園はもちろん三角公園です。

伝説的なディスコを「パームス」をオープンさせて、空間プロデューサーとして
活躍します。




ママは低年齢化・低価格化していく「アメリカ村」を離れ、「堀江」に目をつけました。

15年前に、古ぼけた倉庫を改装し堀江のディスコ1号店「LIFE」をオープンします。
1998年には堀江公園のそばに「ミュゼ大阪」をオープンしました。


南堀江をおしゃれなカフェが集う下地を作ったのはママです。



ママがどこまで関わっていたかは知りませんが、その下地に乗ったのは東京資本です。
(だからアメリカ村みたいに無軌道な感じはない、
大阪らしくない町並みになったんですけどね。いい意味でも悪い意味でも。)






ママを慕う文化人や業界人はたくさんいます。



ママを送る会「日限萬里子葬送会」が、
大阪市天王寺区上本町の国際交流センターで4月3日おこなわれました。

ライブあり、DJありの楽しい会でした。
桑名マサヒロ、もんたよしのりが来てました。
ママのママも来てました。(ディスコダンスを踊ってました。)

ママは、湿っぽいのは好きじゃないから、
喪服は厳禁、ヒカリモノをひとつ以上身につけることが決まりでした。


どっから採ってきたのか、満開のサクラの木が5本ぐらい、
壁にもサクラがさしてありました。(きれいだったけど、心が少し痛かった。)

私も出席させていただきました。

みんなで、大騒ぎしましょう。という会でした。
(私好みの紳士がいっぱいいました。ママごめん!!)


アメリカ村を語るとき彼女に言及しないでは、バチがあたるというもんです。


ママ、どうぞ安らかに。
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posted by 鉄人ママ at 12:09| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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